ふわふわとした不安


FPNより
主語がないことと常識や慣習を重視することふわふわとした「不安」
http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=3090

日本語では主語が省略されることが多いように感じます。
この理由は多くの人が「誰か」「みんな」「多くの人」が
主体として成り立つと考えているからではないではないかと思うのです。
多くの人が常識や慣習が正しいと考えている、または重要視しているとも言えます。

このような社会では、主体のないふわふわとした「不安」や「疑念」や「敵意」が蔓延します。
ふわふわとしているのでグサリと刺さることはないかもしれません。
代わりに、簡単に振り払うこともできず敏感な人にまとわりつきます。
このムードのせいで、日本では多くの人が苦しんでいるように思えて仕方ありません。


自分は統合失調症ではない(と思う、今のところ)けど、この「ふわふわとした不安」が付きまとっているという感覚は、とてもよくわかる。


「すべてのことは自分で決められて、自分に責任がある」と強く思えば問題は無いはずなんだけど、ふと不安にかられることがよくあったりする。